2017年10月24日(火)から2018年1月8日(月・祝)にかけて東京都美術館で開催される「ゴッホ展 めぐりゆく夢」の報道発表会が、3月14日に行われました。今回はその様子をレポートいたします。
ファン・ゴッホが生まれた1853年は、日本においては奇しくも黒船来航の年にあたります。1886年にパリに移り住み、さまざまな刺激を受けながら、自らの絵画表現を模索していったゴッホ。そこで大きな役割を果たしたのが、日本の浮世絵でした。
ゴッホは浮世絵から構図、色彩を学び取るだけでなく、日本の美術作品、日本を紹介する文章などに触れ、理想郷としての「日本」のイメージを醸成させていきました。
1890年、ゴッホはオーヴェールの地で亡くなりますが、そこで「夢」は終わりません。数十年の時を経て、今度は日本の画家たちがゴッホに関心を持ち、次々にオーヴェールの地に訪れたのです。
「ゴッホ展 めぐりゆく夢」は、過去において開催された「ゴッホ展」の中でも初となる、オランダのファン・ゴッホ美術館との国際共同プロジェクトとなります。本展覧会は、2部構成でファン・ゴッホと日本の相互の関係にスポットをあて、その影響を双方向から検証します。
第1部 ファン・ゴッホのジャポニスム
第一部では、国内外のコレクションから厳選したファン・ゴッホ作品40点と、同時代の画家の作品や浮世絵など約50点を展示。日本美術がファン・ゴッホに与えた影響をさまざまな角度から検証します。
ファン・ゴッホは画商ビングの店で大量の浮世絵を見て、その質の高さ、鮮やかな色彩に魅せられます。ゴッホはパリで印象派の影響を受け、明るい画風の作品を描いていましたが、浮世絵を模写することで、さらに革新的な独自の絵画を生み出していきました。
1888年、ゴッホは南仏のアルルへと赴きます。ゴッホはこのアルルに憧れの日本を重ね合わせ、「画家たちの天国以上、まさに日本そのものだ」と表現しました。
夏が訪れたアルルの明るい陽光の下、ゴッホの絵も浮世絵のように鮮やかな色で彩られます。
ゴッホの幸福な日々は、1888年12月の有名な「耳切り事件」により終焉を迎えます。同時に、立憲国家として富国強兵の道を選んだ日本は、世界から軍事的脅威とみなされるようになり、ユートピアとしての「日本」は終わりを告げました。
しかし、ゴッホの創作は続きます。日本の花鳥画を彷彿とさせる花と植物、力強い筆のタッチを使った独自の油彩画。「日本」はなお、ゴッホの中に息づいていたのです。
第2部日本人のファン・ゴッホ巡礼
第2部では、大正から昭和初期にかけてゴッホゆかりの地を訪れた日本人たちの「聖地巡礼」の足跡を、約90点の豊富な資料とともにたどります。
生前ほとんど売れなかった作品の多くは、ゴッホの最後を看取った医師ポール=フェルディナン・ガシェの元に残され、同名の息子がそれらを大切に守り伝えていました。そして、彼を慕う多くの日本人がその生の軌跡を求め、オーヴェールのガジェ家を訪れることになります。
世界初公開となる、ガジェ家に伝わる芳名録。1冊目の芳名録、記念すべき1人目の署名は、画家・黒田重太郎によるものです。
日本におけるフォーヴ運動で中心的な役割を果たした里見勝蔵や、佐伯祐三、前田寛治といった洋画家たちの署名も、芳名録に記されています。新たな日本画の創造を目指した彼らにとって、ゴッホの絵画はインスピレーションの源泉であり、近代的自我に目覚めた芸術家としての規範にもなったのです。
芳名録には、日本におけるファン・ゴッホ受容に大きな役割を果たした精神科医・式場龍三郎の名も。本展では、式場からガシェに贈られた手紙や写真などが展示され、その交流関係が紹介されます。
「ゴッホ展 めぐりゆく夢」は、まさに東西のゴッホ研究者たちによる長年の研究成果の結晶です。
ファン・ゴッホ美術館、プリンストン美術館といった世界の名だたる美術館の所蔵する作品、そして、一般的にはほとんど公開されることのない個人コレクションの作品などが一堂に会する、大変貴重な機会となります。
時空を超えて、ふたたび紡ぎ出されるゴッホの「夢」。私たち日本人にとっては、見逃せない展覧会となりそうです。
ぜひこの機会に、足を運んでみてはいかがでしょうか。