2017年10月21日(土)から2018年1月28日(日)にかけて国立西洋美術館で開催される「北斎とジャポニスム-HOKUSAIが西洋に与えた衝撃」の報道発表会が、4月17日に行われました。今回はその様子をレポートいたします。
19世紀後半、日本の美術は西洋の人々を魅了し、「ジャポニスム」という現象が生まれました。そうした風潮の中、西洋の人々に繰り返し語られた日本人の名前があります。
その名は「HOKUSAI」。
天才浮世絵師・葛飾北斎の影響は、印象派をはじめとして欧米の全域におよび、結果として、西洋芸術の近代への扉を開く原動力となったのです。
本展覧会は、「北斎とジャポニスム」という新たな観点から近代西洋美術史を問い直す、かつてない試みです。モネ、ドガ、セザンヌをはじめとした西洋美術の名作約200点にくわえ、北斎の錦絵約30点と版本約60冊など、まさに「東西の夢の共演」と呼ぶにふさわしいコレクションの展示で、北斎が西洋に与えた衝撃を目の当たりにすることができます。
本展覧会のみどころは・・・
①日本発、世界初!「北斎×ジャポニスム」
モネ、ドガ、セザンヌ、ゴーガン・・・名だたる西洋美術の巨匠たちが、北斎作品に刺激を受け、自分たちの目指す“新しい芸術”を創り上げました。本展は、「北斎」からの刺激を切り口にした、日本“発”で世界“初”のジャポニスム展です。
②西洋美術の傑作と北斎の名品 夢の共演
西洋の芸術家たちに衝撃を与えた北斎芸術の特質とその影響を、国内外のコレクションから選りすぐられた作品で紹介します。まさに“東西・夢の共演”です。
③2020年に向け 世界文化遺産の西美で!
2020年に向けて、日本の魅力を発信しようという機運はますます高まり、日本を代表する存在として北斎が国内外でクローズアップされています。過去から未来へ伝える使命を持つ世界文化遺産・国立西洋美術館において、今こそ、このテーマを見つめ直すときだといえるでしょう。
報道発表会の第一部では、国立西洋美術館館長の馬渕明子氏、同研究員の袴田紘代氏による展示作品の解説がおこなわれました。
動物、植物、人物・・・北斎と西洋の絵画を並べることで、西洋の画家たちが北斎のエッセンスをどのように取り入れていったのか、非常にわかりやすく理解することができます。
なぜ、あまたの浮世絵師の中でも北斎が特別な存在となったのでしょうか?
『北斎漫画』に見られるように、北斎は人物も、動植物も、風景も、すべてを一人で網羅して描くことのできる絵師でした。このことで、北斎は他の絵師に比べて引用される頻度が圧倒的に高く、西洋における名声が高まっていったのです。
日本からもたらされた斬新な浮世絵は、ルネサンス以来の3次元の遠近法など、従来の「型」にとらわれていた西洋の画家たちを解放しました。彼らは造形のみならず、「視点」「テンポ」といった要素にも注目し、単なる模倣、模写ではない「ジャポニスム」という現象を生み出していったのです。
視覚に広がる柳の木から透けて見える風景。モネの「木の間越しの春」は製作当時、誰もが驚くような作品でした。目の前にすだれがかかっている、このような視覚体験は誰でもあるものですが、それを絵画として描こうとした西洋画家はいなかったのです。
「富嶽百景」を保有していたモネは、北斎の絵画にインスパイアされ、自分の体験と重ね合わせてこの作品を描いたと考えられています。
第二部では「教えて!馬渕先生」と題して、日本テレビの杉上沙智枝アナウンサーと、国立西洋美術館長の馬渕明子氏によるトークセッション形式でより深い解説がおこなわれました。
「よくジャポニスムの話をすると、こんなにすごい印象派の作家に影響を与えた日本の美術はすごい、誇りに思うとおっしゃる方もありますが、私は、それはちょっと違うのではないかと思います」
馬渕さんが、「日本人」について語った言葉が印象的でした。
「そこから汲み取って作り上げた、西洋の人たちの吸収・発展させる能力はすごい。それに比べて、日本の人たちは北斎を大事にしたでしょうか。明治時代の日本人は、北斎的なものを引き継いで発展させることもなく、彼のことを忘れ去っていました。西洋に浮世絵がたくさん渡ったおかげで、浮世絵がなくならずに済んだ、という側面もあるわけです」
「だから、国立西洋美術館で開催する意義があるわけですね」
「ジャポニスムというのは西洋美術の一つの重要な側面。西洋が長い伝統から抜け出て、近代美術として立ち上がるきっかけとなったものです。私たち国立西洋美術館としては、そういう側面を大事にしたいと思っております」
北斎によって花開いた、西洋芸術の傑作を観る。
西洋芸術の傑作の中に、北斎を観る。
日本”発”で、世界”初”の「北斎とジャポニスム」展、開催されましたら是非ご覧になってみてはいかがでしょうか。