【国立科学博物館】南方熊楠生誕150周年記念企画展「南方熊楠-100年早かった智の人-」内覧会レポート

2017年12月19日(火)から2018年3月4日(日)まで、国立科学博物館では、南方熊楠生誕150周年記念企画展「南方熊楠-100年早かった智の人-」が開催されています。12月18日に内覧会が開かれましたので、その様子をレポートいたします。
 
■研究者、そして情報提供者としての熊楠
南方熊楠(みなかた くまぐす)は、″隠花植物″(コケやシダ、菌類など花の咲かない植物の総称。現在は使われない)全般に多数の資料を収集した、在野のナチュラリストでした。同館では2006年にも企画展「南方熊楠-森羅万象の探究者-」を開催し、熊楠を「森羅万象を探求する自然科学者」として紹介しています。
 
しかしながら、熊楠の自然科学の論文は意外なほど少ないことが分かっています。ニュートンやアインシュタインのような「仮説検証」をした自然科学者でないならば、どのような点が特筆されるべき人物なのでしょうか。
 
本展覧会で示されるのは、情報収集者、そして情報提供者としての熊楠像です。隠花植物だけではなく、世界中の民話や伝説なども集めたという好奇心旺盛な熊楠。彼の情報処理方法には、現在のインターネットにも通じるものがあるようです。


それでは、展示内容をご紹介いたします。

1. 熊楠の智の生涯

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本章では、資料を通じて熊楠の生涯を概観します。熊楠の破天荒な人生を知ることができます。
 
■天才的な幼少期、落第、そして世界へ
幼いころから和漢の百科事典や本草書を筆者していたという熊楠。熊楠は江戸時代の百科事典『和漢三才図絵』と出会い、知識を集めることに喜びを見出します。中学に進学した熊楠は博物学を学ぶ一方、数学など数理的な学問は苦手でした。17歳で進学した東京帝国大学予備門(現在の教養学部)も、代数で落第点を取り、退学となってしまいます。
 
その後20歳でアメリカに渡った熊楠は、サンフランシスコのビジネススクールに入学するものの、商業に興味が持てず、退学してミシガン州立農学校に入学。しかしアメリカ人学生との衝突や飲酒事件を起こし、またも退学となってしまいます。以降、学校には通わず、アマチュアの菌学者 ウィリアム・カルキンスと交流しながら標本採集等に精を出すようになりました。
 
25歳となった熊楠はロンドンに渡ります。野外で採集に明け暮れたアメリカ時代とは対照的に、大英博物館図書室で膨大な民俗学や自然科学などの知識を収集していきます。渡英から8年後、熊楠は生活苦を理由に日本へ帰国しました。

なんとデスマスクまで展示されています(写真奥)

なんとデスマスクまで展示されています(写真奥)

 

2. 一切智を求めて

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日本へ戻った熊楠は、積極的にフィールドに出て採集を行います。本章では熊楠の時代のフィールドワークと現代のフィールドワークを比較するとともに、熊楠が集めていた民話や伝説など、人文系研究についても紹介されます。

 

3. 智の広がり

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熊楠が特に興味を持っていた″隠花植物″。それはいったいどのような生物なのでしょうか。本章では5つの分類、大型藻類・微細藻類・地衣類・変形菌類・菌類に分け、熊楠標本と現在の標本資料を対比しながら、科学的視点でこれらの生物が紹介されます。

 

4. 智の集積-菌類図譜-

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■純粋な好奇心ゆえの没頭
熊楠は、多数の菌類を集め、描写・記載し、数千枚にも及ぶ「菌類図譜」を作成しました。菌類図譜とは、水彩画で実物大に描写するとともに、実物をスライスするなどして貼り付け、余白にびっしりと採集地の情報や、形態や色、匂いなどの生物学的特徴を記載したものです。
 
菌類図譜には熊楠により一連の番号が振られていますが、欠けている番号がありました。しかし近年、その欠けていた部分が発見されました。これらを「菌類図譜・第二集」と称し、本展覧会で初めて公開されます。
 
菌類図譜には、非常に多くの新種が記載されています。新種は正規に論文などに発表されて初めて新種として認められますが、熊楠は新種発表をしようとはしていませんでした。熊楠にとって発表は目的ではなく、採集作業自体が目的となっていたのです。
 
集めた資料を分析するよりも、「どうだ、こんなに集めたんだ、凄いだろう」と無邪気に自慢したという熊楠の業績は、本来的に学問が持つ楽しさを教えてくれているかのようです。

 

智の展開-神社合祀と南方二書-

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■好奇心は、環境保護の心へ
熊楠の膨大な知識と経験は、やがて様々な形で結実していきます。その一つが、神社合祀(じんじゃごうし)反対運動でした。
 
明治政府は、1906年、神社合祀に関する勅令を発布します。これは、町村合併に伴って複数神社を一町村で一つに統合し、廃止された神社の土地を民間に払い下げる、というもの。実は、払い下げられた土地の森林資源を売却して日露戦争の戦費の借金を返納するという経済的目的がありました。
 
「神が還り得ぬように」と徹底して廃止された神社を壊したという明治政府。熊楠は、貴重な生物をはぐくんだ神社の森が消えてしまう、として各界の有識者に支援を求め、反対運動を展開させていきました。熊楠は、東京帝国大学教授の松村任三(まつむら じんぞう)宛てに2通の手紙を書きます。その内容は、それまで収集してきた生物や民俗などの知識を総動員して例示し、合祀に強く反対するものでした。
 
そして、2通の手紙を民俗学者の柳田國男に託し、松村任三への仲介を依頼。柳田は松村の許可を得たうえでこの2通を印刷し、各界の有識者に配布することで熊楠の反対運動を支援したのでした。
 
ちなみに神社合祀に反対する熊楠は、合祀を進める役人が出席する講演会に乱入し、警察に捕らえられたことがあります。その際、翌日まで収監されていたのですが、なんと獄中でもキノコを採集しており、そのキノコが菌類図譜に掲載されています。

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アオウツボホコリ(手前) 熊楠が猿神社で発見した新種。合祀によりこの神社のすべての樹木が伐採され、熊楠の怒りに火をつけた。

アオウツボホコリ(手前)
熊楠が猿神社で発見した新種。合祀によりこの神社のすべての樹木が伐採され、熊楠の怒りに火をつけた。

 

6. 智の構造を探る

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自然史系と人文系の両方の領域にまたがる熊楠の知的収集活動。「十二支考」はこれらの膨大な知識をもとに編み出され、熊楠の世界観をよく表した著作とされています。
 
「十二支考」は、その年の干支の動物について、各国語の語源から、生物学的特徴、史話、民俗などあらゆる分野の知識を羅列するという熊楠独自の方法をふんだんに使った連載です。その執筆に際して熊楠は「腹稿」と呼ばれるマップ状のメモを作成しています。
 
本章では腹稿を解読しながら、熊楠の思考過程に迫ります。

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腹稿に使われたのは、新聞の裏紙だったそうです。腹稿を作成するには、それだけの広さが必要だったのでしょう。本展では、原稿と腹稿の対応箇所が分かるよう、ボタンを押すと対応箇所が光る仕掛けが用意されています。


熊楠は多数の文献から情報を書き写してデータベースをつくり、そのデータベース内から情報を検索して、腹稿や原稿を作成していました。これは私たちがインターネット内の情報を取り出してまとめるさまと似ています。
 
今日の情報機器の手法と似た方法を、100年前に実践していた熊楠。ぜひ、本展に足を運んで、熊楠の思考過程とその業績に触れてみてはいかがでしょうか。
 

開催概要

展覧会名 南方熊楠生誕 150 周年記念企画展
「南方熊楠-100 年早かった智の人-」
会場 国立科学博物館 日本館1階企画展示室
開催期間 2017年12月19日(火)~ 2018年3月4日(日)
開館時間 午前9時~午後5時
(金・土曜日は午後 8 時まで)
入館料 常設展示入館料のみでご覧いただけます。
(一般・大学生:620 円 高校生以下および 65 歳以上無料)
休館日 毎週月曜日、12月28日(木)~2018年1月1日(月)、1月9日(火)
ただし、1月8日(月)、2月12日(月)は開館



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