
浮世絵黄金期を彩った5大スターの傑作が一堂に会する「五大浮世絵師展―歌麿 写楽 北斎 広重 国芳」が、上野の森美術館(東京・上野)で開幕しました。会期は2025年7月6日(日)まで。
先立って行われた報道内覧会のギャラリートークでは、本展の図録執筆者である川崎浮世絵ギャラリー学芸員の山本野理子さんが登壇。見どころを解説していただきましたので、展示の様子と合わせて紹介します。

展示風景
天明・寛政期に黄金期を迎えた、日本が誇る大衆美術である「浮世絵」で名を馳せた5人の絵師、喜多川歌麿、東洲斎写楽、葛飾北斎、歌川広重、歌川国芳。本展は、美人画、役者絵、風景画など、各分野で頂点を極めた彼らの代表作を中心に約140点の作品を展示し、その表現の特色と魅力を伝えるものです。
第1章「喜多川歌麿―物想う女性たち」
展示は絵師一人ずつに焦点を当てた5章構成となっており、まず登場するのは喜多川歌麿です。

喜多川歌麿《両国橋上橋下納涼之図(橋下の図)》寛政後期(1795-1800)頃
歌麿は、現在NHKで放送中の大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」でも活躍している、江戸きっての名物プロデューサー・蔦重(蔦屋重三郎)が見出した絵師として知られています。
蔦重と組み、当時役者絵で用いられていた人物の上半身にクローズアップする「大首絵」のスタイルを美人画にも導入。艶やかな女性のしぐさや想いを写した作品で一世を風靡した、美人画の第一人者です。

喜多川歌麿《五人美人愛敬競 兵庫屋花妻》寛政7-8 年(1795-96)頃
展示では、着飾った艶姿より、ほつれ髪で手紙を読む遊女のオフショットを捉えた《五人美人愛敬競 兵庫屋花妻》など、日常の様子を描いた美人画が目立ちます。
女性に対する教訓を記した「教訓親の目鑑」シリーズでは、だらしない格好で酒を呷る「ばくれん」(すれっからしの女性)が登場。美人画では、庶民の憧れだった才色兼備の遊女や町で評判の看板娘といった当世の美人が描かれがちですが、歌麿はこのように、ある意味で正反対の属性の女性も区別なくモデルにしました。

喜多川歌麿《教訓親の目鑑 俗二云 ばくれん》享和2 年(1802)頃
山本さんは「歌麿の美人画は、よく理想的な女性像だと表現されることが多いのですが、実はこうした悪女風の女性も得意なんです」とコメント。
家庭で遊ぶ弟を微笑ましそうに見守る姉、海岸で休息する海女、子に乳をのませる山姥など、歌麿はあらゆる女性の生態や風俗に関心を向け、それを網羅するかのように題材にしてきました。そうした多様な女性の魅力を、指先一つに至るまで背景のストーリーを想像させるような豊かな表現力で提示している点が、歌麿作品の大きな特長となっていると話しました。

喜多川歌麿《風流子寶合 大からくり》享和 2 年(1802)頃
ちなみに、先述の《五人美人愛敬競 兵庫屋花妻》に描かれた手紙には、「ひとまねきらい、しきうつしなし、自力画師哥麿」から始まる、歌麿の美人画絵師としての確固たる自負を窺わせる文章も見られます。崩し字が読める方はぜひ注目してください。
第2章「東洲斎写楽―役者絵の衝撃」
続く東洲斎写楽もまた、歌麿同様に蔦重に見出され、浮世絵の黄金期を彩った絵師の一人。寛政6(1794)年5月から翌年の1月までの10ヶ月間に約145点の錦絵を残したものの、その後忽然と表舞台から姿を消したため、経歴がほとんど明らかになっていないミステリアスな人物です。
個性的でインパクトの強い役者大首絵を数多く手掛けており、その作画期は取材した芝居の上演時期によって4期に分けられ、作風や仕様がきれいに分類できることが特徴です。本展に展示される写楽作品の半分以上は、とくに人気の高い第1期の大首絵で、これだけの点数が一同に揃うのはたいへんに希少な機会とのこと。

手前は東洲斎写楽《二代目嵐龍蔵の金貸石部金吉》寛政6 年(1794)
山本さんが写楽作品の魅力の分かりやすい作例として挙げたのは、第1期作の《二代目嵐龍蔵の金貸石部金吉》です。
二代目嵐龍蔵は悪役を得意とした役者で、本図で描かれているのは金貸しの役どころ。袖をたくし上げて見得を切る役者の目の動き、力を込めた指の一本一本、真一文字に引いた口元にできたシワなど、鋭い観察眼による独特の写実表現に着目し、「ズームできるカメラも望遠鏡もない時代に、よくここまでというくらい細部まで描く。役者の演技の一瞬を正確に捉えようとしたのが写楽です」と述べました。

東洲斎写楽《尾上松助の松下造酒之進》寛政6 年(1794)
《尾上松助の松下造酒之進》では、落ちぶれた浪人の伸びた月代に乱れた髪、うつろで落ちくぼんだ目の描写が際立っています。全体を暗い色彩でまとめることで、貧窮に陥った寂寥感を表現しているだけでなく、まるでまもなく殺されてしまう悲壮な運命をも描き出そうとしたかのようです。

東洲斎写楽《中山富三郎の宮城野》寛政6 年(1794)
当時、他の絵師たちは役者を美化していましたが、写楽はたとえ女形であっても男らしい骨格をそのまま描くなど、美しさよりもリアリティや間近で舞台を望むような臨場感を重視していました。迫真の画面からは他の役者絵にはないエネルギーが伝わってきますが、あまりに真を極めようとする姿勢は、当時の役者本人やファンからの不評を買い、活動期が短命に終わった原因と言われています。

左から東洲斎写楽《大童山土俵入り 谷風、雷電、花頂山、達ヶ関、宮城野》、《大童山土俵入り 大童山文五郎》寛政 6 年(1794)
第3章「葛飾北斎―怒涛のブルー」
3人目は葛飾北斎(宝暦10~嘉永2年・1760~1849)です。19世紀後半に起こったジャポニズムでその名がヨーロッパ中に広まり、近年アメリカの写真情報誌『LIFE』が特集した「この1000年で最も重要な功績を残した世界の著名人100人」のアンケートでも日本人で唯一選出されるなど、世界で最も有名な日本人画家と評しても過言ではないでしょう。

葛飾北斎《仮名手本忠臣蔵 十段目》文化3 年(1806)頃
北斎は90年に及ぶ生涯で、版本挿絵はもちろん、錦絵、摺物、肉筆画などあらゆる分野の仕事に着手し、風景・花鳥・人物に留まらない森羅万象を描き続けました。絵の総数は4,000図ともいわれる北斎の代表的な絵手本『北斎漫画』の尋常ではないデッサン力を見るだけでも、70年以上を画業三昧に励み、ついには「画狂老人卍」を名乗るに至ったその画歴の凄みが伝わってくるはずです。

葛飾北斎『北斎漫画』初~14編、文政11-明治11 年(1828-78)
誰もが知る、富士をさまざまな視点で捉えた「冨嶽三十六景」シリーズを発表したのは70歳代の老境に入ってからですが、その前後を展示作品で概観すると、色彩が深く、豊かに変化していることがわかります。絵具の変化も理由でしょうが、何歳になろうと尽きない、北斎の探求心と向上心を感じさせるこうした変化も見どころです。

葛飾北斎《冨嶽三十六景 山下白雨》天保2 年(1831)頃
中でも傑作とされる《冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏》は、遠景に富士の山容を構える海原で、狂ったように高く上がる波の飛沫が飛ぶ一瞬の様子を、大胆な構図で捉えています。

葛飾北斎《冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏》天保2 年(1831)頃
山本さんは本図を例に出し、北斎作品の魅力の一つとして「視覚のトリック」を挙げました。
「北斎は、視線を誘導する効果をあえて作品に入れていると指摘されています。人々はこの絵を見たとき、まずは荒々しくせり上がった波に視線が向かうと思います。手前の波は三角形をしていて、よく見ると遠くの富士山と対になっているという呼応関係にあります。手前の三角から遠くの三角へ、鑑賞者の視点が自然に誘導されるように工夫されているんです」

葛飾北斎《冨嶽三十六景 五百らかん寺さざゐどう》天保2 年(1831)頃
同様に、視線誘導の意図がわかりやすいのは《冨嶽三十六景 五百らかん寺さざゐどう》で、堂上の床板、屋根、欄干、そして参詣客の指先まで、さまざまな描線が奥にそびえる富士に集まっています。西洋の透視図法(遠近法)を得意としていた北斎の、幾何学的な構成力の巧みさが本図からも感じられるでしょう。

葛飾北斎《諸国名橋奇覧 三河の八つ橋の古図》天保4-5 年(1833-34)頃

葛飾北斎《百物語 笑ひはんにや》天保2-3 年(1831-32)頃
第4章「歌川広重―雨・月・雪の江戸」
続く歌川広重(寛政9~安政5年・1797~1858)は、デビュー当初こそ美人画や役者絵を中心に制作していましたが、出世作の「東海道五拾三次之内」シリーズで風景画の絵師としての地位を確固たるものにしました。

歌川広重《東海道五拾三次之内 日本橋 朝之景》天保4-5 年(1833-34)頃
同シリーズは、江戸と上方を結ぶ東海道に設置された53の宿場に、日本橋と京都三条大橋を加えた55の風景を描いたもの。十返舎一九著の『東海道中膝栗毛』が起こした旅行ブームのあおりを受けて爆発的にヒットしました。風景画の名手として対比されることの多い北斎の「冨嶽三十六景」シリーズと、ほぼ同時期に発表されている点にも注目です。

歌川広重《東海道五拾三次之内 蒲原 夜之雪》天保4-5 年(1833-34)頃
広重の風景画について、山本さんは次のように話します。
「風景画ではありますが、土着の人々や旅人、旅行の風俗、風情といったものも描かれていて、それが情趣感みたいなものを作り出しています。ただの風景画でもないし、ただの人物画でもない、ただの自然でもなくて、ただの人々の暮らしでもない。それらが一体となっているというところが広重の作品の良さです」
広重と北斎は、ともに無類の旅行好きだったといいます。自然や風土、そしてそこに生きる人々のもつ情趣を存分に生かした広重と、目に映る物の造形性を大胆に誇張した北斎。その眼差しや方向性の違いを比べてみるもの面白いでしょう。

歌川広重《月二拾八景之内 弓張月》天保3 年(1832)頃

歌川広重《名所江戸百景 大はしあたけの夕立》安政4 年(1857)
また、広重は各地の名所を描いた「名所絵」も得意としており、晩年の傑作と名高い「名所江戸百景」シリーズでは、風景画として異質な縦画面にも挑戦しています。
特に目を見張るのは《名所江戸百景 亀戸梅屋舗》で、近景に極端に拡大して描かれた梅の木の枝、その隙間に梅屋敷の全体的な景色を捉えることで、縦画面でも十分な遠近感を出しています。こうした構図は近像型構図と呼ばれ、晩年の広重が好んで用いていました。

歌川広重《名所江戸百景 亀戸梅屋舗》安政4 年(1857)
このように広重作品は、旅人と同じ目線をとったり、鳥のように遥か高みから見下ろしたり、崖の険しさを表現するためにごつごつした岩肌をあえて画面中央に配したりと、作品ごとで構図に緩急をつけていることも大きな特長です。まるでドローン撮影したかのように想像を巡らせて描かれた縦横無尽な空間表現は、鑑賞者を飽きさせません。
第5章「歌川国芳―ヒーローとスペクタクル」
第5章は、歌川広重と同い年で幕末・明治期に活躍した歌川国芳(寛政9~文久元年・1797~1861)を特集。これまでと展示作品の雰囲気がガラリと変わり、スペクタクルな大活劇の様相を呈しています。
国芳は豪快な筆さばきによる躍動的な画面に、ダイナミックな人物描写と美しい色彩を織り交ぜた「通俗水滸伝」シリーズでブレイク。日本の英雄やヒーローを数多く手掛け、奇想天外で心躍る発想の武者絵や、反逆・諧謔精神あふれる風刺画で新境地を拓きました。

歌川国芳《通俗水滸伝豪傑百八人之壱人 浪裡白跳張順》文政末年(1827-29)頃
《通俗水滸伝豪傑百八人之壱人 浪裡白跳張順》はシリーズの中でも傑作と名高く、水軍の頭領である張順が敵の罠にかかり、無数の矢を浴びて壮絶な最期を迎える場面を描いたもの。睨みを利かせる表情、逆立つ髪の一本一本の描写が、死を覚悟した者の凄みを感じさせます。
なお、本作同様、国芳は作品の中で人物にたびたび派手な彫り物(刺青)を施していますが、それらがあまりに見事であったため、江戸では彫り物ブームが巻き起こったとか。

歌川国芳《小子部栖軽豊浦里捕雷》天保7-8 年(1836-37) 頃
紙の継ぎ目を跨いだ巨大なドクロが印象的な《相馬の古内裏》は、山東京伝の読本(江戸で流行した挿絵付きの長編小説)に取材した作品。特徴的なワイドスクリーン(続き物を一つの大画面として扱う構図)の三枚続は国芳が得意とした手法です。

手前は歌川国芳《相馬の古内裏》 弘化年間 (1844-48) 頃
廃墟となった平将門の内裏の跡に、異類異形のものが出現している様子を描いていますが、読本の挿絵では小さいドクロが無数に出てくる図だったものを、独自の解釈で一つの巨大なドクロに変更。さらに三枚続で迫力を持たせている点に、国芳らしいクリエイティビティの一端が垣間見られます。

歌川国芳《酒田公時 碓井貞光 源次綱と妖怪》文久元年(1861)
活劇的な武者絵を得意とする国芳といっても、壮大なシーンばかりではありません。たとえば《酒田公時 碓井貞光 源次綱と妖怪》は、源頼光四天王らが悪事を企む妖怪たちと囲碁に興じている場面を描いたもの。難なく抑え込まれた哀れな妖怪たちと、厳めしくも何事もなかったかのような表情で囲碁を指す武士たちのユーモラスな対比にクスリと笑いがこぼれます。
《名誉 右に無敵左り甚五郎》は、江戸に名高い彫物師・甚五郎と彼を囲む彫刻作品を描いたもの。しかし、地獄変相図のどてら、芳桐印の座布団、傍らに侍らせている猫などのトレードマークが散らばっていることから、実は甚五郎に見立てた国芳本人が登場していることがわかります。

手前は歌川国芳《名誉 右に無敵左り甚五郎》嘉永元年(1848) 頃
さらに、周囲の仁王や関羽などの彫刻も、顔は役者の似顔絵風になっていると山本さんは指摘します。
「天保の改革で娯楽産業の取り締まりがあり、浮世絵師たちは役者絵や美人画を描くことを禁じられました。ですが、絵師たちはあの手この手を尽くして作品を制作し、特に国芳は非常に反骨精神が強い人だったので、改革が緩んだ後もこうして幕府をおちょくるかのように役者に似せた仏像を描いて、自分たちはこんなこともできるんだぞと見せつけました。庶民のための絵を描く庶民でありながら、こうして権力に抗う。それが国芳という絵師です」
「五大浮世絵師展―歌麿 写楽 北斎 広重 国芳」の開催は、2025年7月6日(日)まで。本展のキャッチコピーのひとつは「あなたの推しをさがせ!」となっています。浮世絵に詳しくない方も、ぜひ本展で浮世絵の頂点を極めた5大スターたちの傑作に触れ、お気に入りの絵師を見つけてみてください。
■「五大浮世絵師展―歌麿 写楽 北斎 広重 国芳」概要
会期 | 2025年5月27日(火)~ 7月6日(日) ※休館日なし |
開館時間 | 10:00〜17:00(入館は閉館の30分前まで) |
会場 | 上野の森美術館(〒110-0007 東京都台東区上野公園1-2) |
チケット | 詳細は公式ページをご覧ください。 |
主催 | 上野の森美術館 / フジテレビジョン |
お問い合わせ | 050-5541-8600(ハローダイヤル、全日/9:00~20:00) |
展覧会公式サイト | https://www.5ukiyoeshi.jp/ |
※記事の内容は取材時点のものです。最新情報は展覧会公式サイト等でご確認ください。
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