これまで銀座で特集していた「うちのイチオシ!」を、ココシル上野でもスタート!
この特集では、お店の「イチオシ」商品、こだわりなどについてお話をお伺いします。
上野での記念すべき第1回は、皆さんもご存知、和菓子屋の「うさぎや」さん。
今回お話をお伺いさせて頂いたのは、うさぎや 四代目店主の谷口拓也さんです。
<うさぎやの発祥・歴史について>
うさぎやの創業は1913年(大正2年)。上野の現在の地に店を構えられました。創業者初代谷口喜作氏は富山県出身。安田財閥の祖と言われる安田善次郎氏とは、寺子屋での師弟の関係。安田氏を頼って上京し、しばらく銀行員として勤められました。和菓子屋の前には、横浜の馬車道で西洋ろうそくを扱うお店を出され、このお店の屋号も「うさぎや」でした。初代の生まれ年が卯年であったことから付けられたとのことです。
和菓子屋をはじめられたのは、お菓子の神様と言われた松田咲太郎氏との出会いがきっかけ。当時、松田氏はお菓子屋さんのコンサルタントのような仕事をしていた方です。松田氏とたまたま隣に座る機会があって知り合いになり、「うさぎや」を創業することになったそうです。
創業当初に菓子折に入れていた「うさぎやは素人の菓子屋也」と始まる口上には、職人としてではなく、素人として食べる側の立場でお店を作りたいという思いが込められているそうです。その後、三代目まではどなたも工場で働いた経験を持たなかったとのことです。四代目の谷口さんは、行動派。大学卒業後3年間、別のお仕事をされた後、10年間うさぎやの工場でお仕事をされました。「当時は職人が少なくなり、自分でも作れないといけないと思って工場で働くことを決心しました。」
<うさぎやの一押しは?>
「店としては創業のときから販売している喜作最中が看板商品と思っていますが、今ではどらやきですね。」
お店では、他にも商品を扱われていますが、やはりどらやきが看板商品というのは、読者のみなさんも納得のことと思います。
<餡子の材料・こだわりを教えてください>
「十勝産の小豆を使っています。材料は、特に高いもの、手に入りにくいものというのではありません。しかしながら、その中で良いものを厳選しています。」
「毎年小豆の納入業者さんと北海道の産地を見に行きます。毎年交代で職人さんも何人か一緒に行きます。実際に産地を見に行ったり、農家の人に直接苦労話を聞いたりすると、こういうところで作られた小豆なんだと思って、職人さんの小豆を扱う気持ちに変化が起きます。もう一方、農家の方にどらやきを持って行き、自分達の作った小豆を大切に品物にしていることをお伝えすると、小豆を作り続けようという気持ちを持ち続けて頂けるのではないかと思います。」