記事提供:たいとう文化マルシェ
浄土宗開宗から850年という節目に、全国の寺院から宗祖・法然(ほうねん)ゆかりの至宝が多数集結する特別展「法然と極楽浄土」が、東京・上野の東京国立博物館で始まりました。会期は2024年6月9日まで。
※会期中、一部作品の展示替えがあります。すでに展示が終了しているものもありますので、詳細は展覧会公式サイト等でご確認ください。
もともとインドや中国で発展した、阿弥陀如来が西方に建立した一切の苦しみのない世界・極楽浄土への往生を願う信仰は、日本では「浄土教」や「浄土信仰」などと呼ばれ、天台宗の比叡山延暦寺を中心に取り入れられていました。
平安時代末期、戦乱や天災、疫病が相次ぐ末法の世に生まれた法然(1133-1212)は、比叡山で浄土教について学び、1175年(承安5年)に独自の教義として「南無阿弥陀仏」と称えることで誰もが等しく阿弥陀如来に救われ、極楽浄土に往生できると説いた「浄土宗」を開きます。
「南無阿弥陀仏」は「阿弥陀如来に帰依します」を意味します。このわずか六字のフレーズ(念仏)をひたすら声に出して称えれば、厳しい修行や善行の有無に関係なく極楽往生できるというシンプルな「専修念仏」の教えは、その容易さから貴族から学のない庶民まで困難に苦しむ幅広い階層の人々の支持を得て、鎌倉仏教の一大宗派に成長。現代まで連綿と受け継がれてきました。
本展は、2024年に浄土宗が開宗850年を迎えることを記念して、法然による立教開宗に始まり、江戸時代に徳川将軍家の帰依によって大きく発展を遂げるまでの浄土宗の美術と歴史を、全国の浄土宗諸寺院等が所蔵する国宝、重要文化財を含む貴重な名宝によって通覧する大規模な展覧会です。
展示は4章構成になっています。第1章「法然とその時代」では、法然がどういった人物であったのか、その姿かたちや事績、思想を紹介。
ここでは、法然の思想を体系化した浄土宗の根本宗典であり、冒頭部分には法然自筆の書も見られる重要文化財《選択本願念仏集(盧山寺本)》や、全48巻にも及ぶ長大な絵巻に法然の出生から往生までの生涯はもちろん、浄土宗に帰依した公家・武家や弟子たちの事績までをも収めた、数ある法然伝の集大成といえる国宝《法然上人絵伝》などが登場します。
奈良・當麻寺奥院の本尊であり、中世に制作された法然の彫像としては貴重な作例の《法然上人坐像》で見られる容姿は、比較的若い時分のものであるとか。肉付きがよく、表情はわずかに微笑んでいるようで柔和な印象を受けました。この肩ひじを張らない親しみやすさは浄土宗の大衆性に通じるものがあり、本展に入ってすぐの場所に展示されていることはじつに象徴的です。
教団の勢力が強まるにつれて、なかには教えを曲解して風紀を乱す者が現れ、延暦寺宗徒が専修念仏の停止を求める訴えを起こすこともありました。その際に法然が自戒を促す目的で弟子たちに署名させた、七つの禁止事項を記した《七箇条制誡(しちかじょうせいかい)》をよく見ると、浄土真宗の宗祖・親鸞(しんらん)の若かりし頃のサインも含まれています。
多くの人々の願いが込められた阿弥陀如来の造形の数々によって、庶民にまで広がった信仰の高まりを伝える第2章「阿弥陀仏の世界」の見どころは、先に紹介した《法然上人絵伝》と同じく浄土宗総本山である京都・知恩院蔵の国宝《阿弥陀二十五菩薩来迎図》です。
本作は「早来迎(はやらいごう)」の異名で知られ、鎌倉時代の仏教絵画の傑作として教科書などで取り上げられているので、ご存じの方も多いはず。臨終を迎えた念仏者を極楽浄土へ連れるべく、菩薩衆を従えた阿弥陀如来が雲に乗って降りてくる様子を描いた絵画を来迎図と呼び、「早来迎」の名は、対角線構図で滝から一直線に水が落ちていくように疾走感を強調した見事な飛雲の表現から来ています。このような造形には、迅速な来迎を願った人々の願いが反映されているのでしょう。
2019年から3年にわたり、肌裏紙(はだうらがみ:本紙の裏に直接貼る補強紙)を交換するなど大規模な解体修理が施されたおかげで画面が明るくなり、水面の青色や彫りの深い山肌など、本図の特徴ともいえる三次元的情景表現を生んだ山水景観がより鮮明になりました。
浄土信仰の聖地である奈良・當麻寺の秘蔵本尊である国宝《綴織當麻曼陀羅(つづれおりたいままんだら)》も必見です。本来は第3章に構成されている作品ですが、スペースの関係か第2章のエリアに並んでいました。
本作は、浄土教における三大聖典のひとつ『観無量寿経』の内容を絵解きした縦横4メートルにおよぶ圧巻の極楽浄土図。極彩色で染めた絹糸や金糸を使い、一寸(3.3センチ)幅に60本の経糸という精密な織りが、微細な線描や色調のグラデーションなど描画に迫る表現をしていただろうことが想像されます。唐時代の中国、もしくは奈良時代・8世紀の日本で制作されたと考えられていますが、これほど高度な技術でつくられた8世紀の遺例は他にないとのこと。奈良県外で公開されるのは今回が初となります。
残念ながらかつての色彩はほとんど失われてますが、本作は鎌倉時代に法然の弟子証空によって絶大な信仰を集め、多くの写しがつくられました。同章でも、墨線のはっきりした写しの《当麻曼陀羅図》が展示されています。《綴織當麻曼陀羅》には、中将姫という貴族の娘が阿弥陀如来の力を借りて、蓮糸を使って一晩で織り上げたという伝承が残っていますが、《当麻曼陀羅図》と合わせて見れば、当時の人々の崇敬を高めた神秘性の一端を体感できるかもしれません。
第3章「法然の弟子たちと法脈」では、法然の没後に、彼の教えを広めようと鎮西(九州)や鎌倉、京都など全国で精力的に活動した弟子たちの活躍をたどります。
専修念仏の理念的構築や、その中での諸行の位置づけ、教団の正当性の確保など、弟子たちの間でもさまざまなアプローチの相違があったようです。展示されている《末代念仏授手印(生極楽本)》は鎮西派の祖である聖光(しょうこう)の直筆とされる一本で、門弟間で異議異流が生じている状況を嘆き、法然の真意を後世まで伝えるために著したもの。専修念仏というこれ以上なくシンプルな教えであっても、その一つの教えを守り受け継ぐことがいかに難しいか考えさせられます。
浄土宗中興の祖・聖冏(しょうげい)が常陸国で関東浄土宗の礎を築き、その弟子の聖聡(しょうそう)が江戸に増上寺を創建。松平家以来、浄土宗を深く信仰していた徳川家康が増上寺を江戸の菩提所、知恩院を京都の菩提所と定めたことによって、教団の地位は確固たるものになりました。第4章「江戸時代の浄土宗」では、将軍家と諸大名の外護を得て、飛躍的に興隆した江戸時代の浄土宗の様子を、浄土宗寺院にもたらされたスケールの大きな宝物でたどります。
ここで鑑賞できる宋版、元版、高麗版の3部の《大蔵経》は、家康が大和国、周防国、近江国の寺院から領地と引き換えにそれぞれ召し上げ、増上寺に寄進した「三大蔵」と呼ばれるもの。
大蔵経とは5,000巻を超える漢訳された仏教経典を総集したもので、中国では北宋時代以降、印刷文化の発展に伴い大蔵経が木版印刷されていきました。刊本大蔵経は個別でも希少な文化財ですが、欠本がない状況で一寺院に三部も所蔵されている事例は世界に類をみないとか。現代の仏教研究の基礎をつくった、文化史上極めて重要な書物です。
派手さはなくとも目を引かれたのは、家康の自筆と伝えられる《日課念仏》。晩年の家康が自らの滅罪を念じて毎日こつこつ「南無阿弥陀仏」と写経したものと考えられています。遠目には何かの模様かと勘違いしてしまうほど、縦6段、横41列にびっしりと名号が書き込まれている様子は、それだけの執着の表れのようで少しゾッとするものがありました。しかし、よく見ると間違い探しのように、2カ所だけ「南無阿弥陀仏」ではなく「南無阿弥家康」の文字が……。このように書かれた理由は定かではありませんが、ただのお茶目だったのか、もっと別の深い思惑が込められていたのでしょうか。
四条派や土佐派などの画風をほぼ独学で学んだ後に狩野派へ入門したとされる幕末の絵師・狩野一信(1816-63)が画業の集大成として、およそ10年の歳月をかけて挑んだ増上寺蔵の《五百羅漢図》は、本展のハイライトといってもいいでしょう。
羅漢とは釈迦の弟子の中でも悟りを得た聖者を指す尊称で、人々を救済する役目をもった存在として信仰されてきました。五百羅漢は釈迦入滅後に経典を編纂する集会(第一結集)に参加した500人の羅漢のことで、日本では江戸時代中期以降に各地で五百羅漢の木彫や石像が盛んにつくられるようになります。
本作はその中でも大きさ、数、迫力ともに破格の羅漢図であり、文字通り500人の羅漢を5人ずつ、計100幅に描き分けた大作です。羅漢の修行や生活、六道や人に降りかかる厄災と羅漢による救済といった個性の強い情景を、日本画の枠にとらわれず西洋の陰影表現・遠近法も用いながら、極彩色でドラマチックに表現。四隅まで力を抜いている部分がまるでなく、情報量の多さとそこから伝わってくる情熱に圧倒されました。
会場では全100幅のうちの24幅(前・後期で12幅ずつ)が展示されます。
会場で最後に出会うのは、香川・法然寺蔵の《仏涅槃群像》です。釈迦入滅の場面を群像で立体的に表した作品で、等身大を上回る釈迦の涅槃像と、それを取り囲んで嘆く羅漢、天龍八部衆、動物など計82軀で構成されています。高松藩初代藩主・松平頼重が京都の仏師を招いて造営したもので、このような大型の涅槃群像は他に例がありません。
普段は法然寺の三仏堂(涅槃堂)に置かれていますが、本展ではそのうち26軀が登場。フォトスポットとして開放されていました。
なお、展覧会は東京展の後、京都国立博物館、九州国立博物館に巡回予定です。
「法然と極楽浄土」概要
会期 | 2024年4月16日(火)~6月9日(日) |
会場 | 東京国立博物館 平成館 |
開館時間 | 9:30~17:00(入館は閉館の30分前まで) |
休館日 | 月曜日、5月7日(火) ※ただし、4月29日(月・祝)、5月6日(月・休)は開館 |
観覧料(税込) | 一般 2,100円、大学生 1,300円、高校生 900円
※本展は事前予約不要です。 |
主催 | 東京国立博物館、NHK、NHKプロモーション、読売新聞社 |
お問い合わせ | 050-5541-8600(ハローダイヤル) |
公式サイト | https://tsumugu.yomiuri.co.jp/honen2024-25/ |
※記事の内容は取材時点のものです。最新情報は展覧会公式サイト等でご確認ください。
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