記事提供:たいとう文化マルシェ
印象派の巨匠クロード・モネの生涯を、〈積みわら〉や〈睡蓮〉の連作をはじめとする代表作60点以上で辿る展覧会「モネ 連作の情景」が上野の森美術館で開催中です。
会期は2024年1月28日まで。
開催に先立って行われた報道内覧会に参加してきましたので、会場の様子を詳しくレポートします。
展示作品すべてがモネ。国内外40館以上の協力で実現した貴重な展覧会
印象派を代表する巨匠クロード・モネ(1840-1926)。
自然の光と色彩に対する並外れた感覚をもっていたモネは、同じ場所やモティーフを異なる季節や天候、時刻のなかで観察し、刻々と変化する印象や光の動きの瞬間性を複数のカンヴァスに連続して描きとめるという、それまでにない革新的な「連作」の表現手法を確立した画家として知られています。
本展は、1874年の印象派の誕生(第1回印象派展の開催)から150年の節目を迎えることを記念して開催されるもので、〈積みわら〉や〈睡蓮〉といったモネの多彩なモティーフの連作絵画に焦点を当てつつ、日本初公開となる人物画の大作《昼食》など印象派として名が知られる以前の作品も紹介。国内外40館以上から集められた代表作60点以上を通じて、時間と光とのたゆまぬ対話を続けたモネの生涯を辿ることができます。
印象派への転機となった初期の大作《昼食》が日本初公開
展示は時系列の全5章構成となっています。
モネは1840年のパリに生まれ、少年時代をノルマンディー地方の港町で過ごしました。15歳頃からカリカチュア(似顔絵)の名手としてすでに地元で頭角を現し、17歳の頃、風景画家ウジェーヌ・ブーダンからの助言によって戸外で風景画を描き始めます。
パリでの画家修業を経て、1865年には当時のフランスの芸術家にとっては唯一の登竜門であり、最高の市場でもあった伝統的な公募展「サロン(官展)」で2点の風景画が初挑戦ながら入選。順調なデビューを果たしたものの、1867年からサロンの審査基準が厳しく保守的になって以降は評価を得られず。1870年、周到に準備した高さ230cmを超える渾身作《昼食》(1868-69)も落選の憂き目に遭います。
第1章「印象派以前のモネ」では、その《昼食》が日本初公開されるほか、普仏戦争から逃れ、1871年から滞在したオランダの水辺の景色を描いた風景画や肖像画などが並びます。
《昼食》で描かれているのは、経済的な理由で別居が続いていた、後に結婚するカミーユと息子のジャンと一緒に暮らし始めた頃の何気ない食卓の光景。希少な「モネの黒」を味わえる初期の代表作ですが、一説には、大胆に粗い筆致で明るい色を配する表現の新しさや、物語性の希薄な日常の光景をあたかも偉大な絵画のような大画面に描いたことなどが、新古典主義を重視する審査員の不興を買ったと考えられているとか。
この落選を機に、モネは目指す芸術性の異なるサロンと距離を置き、本格的な印象主義へと向かうことになります。
モネは1871年末からパリ郊外のセーヌ川沿いの町、風光明媚なアルジャントゥイユに転居し、同地を訪れたマネやルノワールらとともに制作に励みました。新たな発表の場を求めて、1874年にはパリで同志たちと「第1回印象派展」を開催します。注目は集めたものの、売り上げは芳しくなく経済的に困窮。さらに、1879年には最良のモデルであり理解者でもあった妻カミーユを病で失います。
第2章「印象派の画家、モネ」では、1870〜80年代、そんな苦しい環境にあったモネがセーヌ川流域を拠点に各地を訪れて制作した、印象派らしい多様な風景画を展示。モネが愛したのは、刻々と近代化する都会の街景よりも自然の情景、とくに水辺の景色でした。
この頃のモネは風景画家シャルル゠フランソワ・ドービニーを真似て、《モネのアトリエ舟》(1874)で描かれている、ボートの上に小屋を設えたユニークなアトリエ舟を造っています。戸外制作につきものの悪天候にも耐えられるこの乗り物で自在に移動し、水上ならではの視点からの景色を数多く作品に残しました。
とりわけモネを惹きつけたのは、ヴェトゥイユという小さな村の教会を含む一帯をセーヌ川から臨んだ風景で、モネはこの主題を繰り返し描いています。なかでもサウサンプトン市立美術館所蔵の《ヴェトゥイユの教会》(1880)はこの時期の傑作と名高く、絶えず揺れる水面の映り込み、その一瞬を見えるがまま描き出そうと、カンヴァスに絵の具を大胆な筆致で素早く載せている点が見どころです。
同章でほかに目を引いたのは、ヴェトゥイユの荒涼とした冬景色を、同時期のほかの作品と比べるとやや抽象的に、乱暴とも思えるような筆致で描いた《ヴェトゥイユ下流のセーヌ川》(1879)です。
同じくヴェトゥイユの自然を主題にした作品に、同居していたオシュデ家の夫人アリスと思しき女性や子供とともに描いた《ヴェトゥイユの春》(1880)がありますが、そちらは春の草木の生き生きとした様子を、短く太めのタッチや細く短い線、波のように連なるリズミカルな線で、柔らかなピンクを交えて表情豊かに描いています。
2作品を比べてみると、明らかに後者が絵として安定している印象を受けました。暖かな春の訪れと親しい者たちの存在が、妻カミーユを失ったモネの深い悲しみを少しずつ慰めたのだろうか、などと想像がふくらみます。
「連作」着想へ向けて。同じ主題で緩やかに結びつく作品群
19世紀後半における鉄道網の発達によってヨーロッパ各地を精力的に旅したモネは、人で賑わう行楽地ではなく人影のない海岸など自然風景を好み、ひとつの場所で数か月かけて集中的に、または年単位で再訪しながら制作を行いました。
第3章「テーマへの集中」では、モネを魅了したノルマンディー地方プールヴィルの海岸やエトルタの奇岩など、ひとつの風景の多様な表情を収めた作品を紹介しています。
なかでも興味深いのはプールヴィルの海岸を扱った4点。1882年作の2点の《プールヴィルの断崖》と、その15年後、1897年作の《プールヴィルの崖、朝》《波立つプールヴィルの海》は、いずれも海岸一帯に見える断崖、砂浜、海、空を似たような構図で描いています。
しかし、1882年の作品では目立つ断崖や岩礁にはっきりモティーフとしての力点を感じるのに比べて、1897年の作品はモティーフの主張が弱まり、むしろ変化する天候や海の状態、全体の雰囲気に意識を向けているように感じます。
この4点は、モネのスタイルの変遷、同じ場所で10年以上の歳月をまたいで描かれた作品だからこそわかる目線を如実に伝えていました。
その他にも《ラ・マンヌポルト(エトルタ)》(1883)と《エトルタのラ・マンヌポルト》(1886)などは、緩やかなつながりを感じさせる、ある種の秩序をもった作品群、同じテーマに基づくバリエーションのようなものと表現できます。こうした過程を経てモネは、ひとつの主題について何点もの絵画を「連作」として描くことを着想しました。
第4章「連作の画家、モネ」からは、いよいよ本展のメインである「連作」の代表作が並びます。
1883年、42歳のモネは終の棲家として、セーヌ川流域のジヴェルニーに移り住みます。この地で秋になると目にする風物詩であった積みわらをモティーフにするにあたり、モネは当初ありのままに描きましたが、1890年前後には複数のカンヴァスを並べて、天候や時間による光の効果で刻々と変化する様子を同時進行で描写。1891年にパリのデュラン゠リュエル画廊で個展を開催し、それらを「連作」として展示すると劇的な大成功を収め、フランスを代表する画家として国内外で名声を築きました。
この〈積みわら〉が、モネが体系的な「連作」の手法を本格的に実践した最初のシリーズだと考えられています。
本展に出品された《積みわら、雪の効果》(1891)は、1891年にデュラン゠リュエル画廊で展示された15点のうちの1点。積みわらを画面手前に大きく配置し、ほとんど影になった積みわらと輝かんばかりの雪のドラマティックなコントラストが美しい作品です。
以降、「連作」はいくつものモティーフで手掛けられ、1899年からはロンドンで〈ウォータールー橋〉や〈チャリング・クロス橋〉などを数年かけて描いています。
〈ウォータールー橋〉はロンドンの連作のなかで最多の41点を数え、会場にはそのうちの曇り、夕暮れ、日没を描いた3点が出品。
画面は湿り気のある大気が充満したようで、いずれもモティーフとなった橋の細部は省略され、柔らかなシルエットがテムズ川の霧の中でかすむように浮かびます。光のプリズムが生み出す色彩の微妙なハーモニーこそが見どころであり、摺り色を変える木版画のように、構図が同一であるからこそ色彩の表情の個性が際立っています。
ひとつの主題をさまざまな色と光の視覚効果のなかで繰り返し鑑賞させることで、鑑賞者を作品に取り込み、画面上には存在し得ない、モネ自身が体験したであろう「時間」を追体験させる。こうした没入感を体験させることも、モネの「連作」の狙いだったのではないでしょうか。
単純な光と色彩の探求というだけでなく、「連作」は互いにどのように機能し合うのか、また鑑賞者にどのような効果を生むのか、「連作」でしかなしえない新たな芸術を創造しようとするモネの確固たる意志を感じました。
モネを「抽象絵画の祖」たらしめた〈睡蓮〉
ジヴェルニーの自宅は、モネの理想が詰め込まれた最大の着想源でした。モネは藤や芍薬など四季折々の花が咲き乱れる「花の庭」と、日本庭園から着想を得た”モネの最高傑作”とも呼ばれる「水の庭」を、絵の題材にする目的で何年もかけて整備。この「水の庭」の池で庭師の手を入れて育てていたのが、晩年最大の連作のモティーフになった睡蓮です。後妻のアリスや家族に支えられ、モネは視覚障害に悩みながらも86歳で亡くなるまで制作を続けました。
最後の第5章「『睡蓮』とジヴェルニーの庭」ではジヴェルニーの光景や、睡蓮をはじめとするモネが愛した庭のさまざまな情景を紹介しています。
モネが睡蓮の花を集中的に描き始めたのは池の造成を始めてから4年後の1897年夏のことで、《睡蓮》(1897-98頃)はその最初期に制作された8点のうちの1点。池の水面に接近して、睡蓮の花と葉をクローズアップした構図で捉え、くっきりとしたフォルムで描いています。花の大胆すぎる筆致が遠目には艶やかな立体感として立ち上がってくる点に目が引かれました。
この時点で、暗い水面に池の周囲の樹木や空の反映はなく、モネの視線は睡蓮だけを注視しているのがわかります。年を経るごとに視線は水面に集中。視力の衰えとともに奥行きはなくなり、筆致はより粗く、鏡のように周囲を映す水面で形と色と光は溶け合い、まるで抽象絵画のように変化していきました。
そうした晩年の作品群は、20世紀半ばの抽象美術家を刺激し、モネ芸術は新たな注目と再評価を受けることになりました。
「100%モネ」、それも素描や下描きのない、1点1点がモネの代表的な油彩画である貴重な展覧会。モネの印象派以前から晩年までのスタイルの変遷がわかる、モネ初心者にもおすすめしたい内容になっています。ぜひ足を運んでみてください。
「モネ 連作の情景」概要
会期 | 2023年10月20日(金)~2024年1月28日(日)まで |
会場 | 上野の森美術館(東京都台東区上野公園 1-2) ※JR上野駅公園口より徒歩3分 |
開館時間 | 9:00~17:00(金・土・祝日は~19:00) ※入館は閉館の30分前まで |
休館日 | 2023年12月31日(日)、2024年1月1日(月・祝) |
入場料(税込) | 日時指定予約推奨 [平日(月~金)] 一般 2,800円/大学・専門学校・高校生 1,600円/中学・小学生 1,000円 [土・日・祝日] 一般 3,000円/大学・専門学校・高校生 1,800円/中学・小学生 1,200円 ※未就学児は無料、日時指定予約は不要です。 |
主催 | 産経新聞社、フジテレビジョン、ソニー・ミュージックエンタテインメント、上野の森美術館 |
お問い合わせ | 050-5541-8600(ハローダイヤル) 全日9:00~20:00 |
展覧会公式サイト | www.monet2023.jp |
※※記事の内容は取材日(2023/10/19)時点のものです。最新情報は公式サイト等でご確認ください。
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