2021年9月18日(土)、東京・上野の東京都美術館で『ゴッホ展――響きあう魂 ヘレーネとフィンセント』が開幕しました。会期は12月12日(日)まで。
ファン・ゴッホ作品最大の個人収集家であるヘレーネ・クレラー=ミュラー(1869〜1939)のコレクションにスポットを当てた展覧会。《夜のプロヴァンスの田舎道》や《黄色い家(通り)》などの人気作が顔をそろえる会場の様子をレポートします。
ファン・ゴッホ人気の立役者 ヘレーネ・クレラー=ミュラー
世界中にファンをもち、ここ日本においても最も愛されている画家の一人であるフィンセント・ファン・ゴッホ(1853-1890)。
27歳で画家を志し、37歳で生涯を終えるまでの10年間でおよそ2,000点もの作品を残したとされていますが、「生涯で数枚しか作品が売れなかった」という通説で知られるように生前は名声を得ることが叶いませんでした。
しかし、今や彼は近代美術の巨匠として位置づけられ、作品には数億、数十億の値がつけられるように。その背景には彼の作品の価値を認め、作品を保存し、後世に残そうと尽力した人々の情熱がありました。
なかでも重要な役割を果たした立役者の一人が、この度の『ゴッホ展――響きあう魂 ヘレーネとフィンセント』でスポットを当てたヘレーネ・クレラー=ミュラーです。
夫アントンとともに、19~20世紀にかけてのフランスやオランダの芸術家の作品を中心に、11,000点を超える膨大なコレクションを築いたオランダ有数の資産家・ヘレーネ。彼女はファン・ゴッホの作品に深い人間性や精神性を感じ取り、ファン・ゴッホがまだ広く評価されていない20世紀初頭から90点を超える油彩画と約180点の素描・版画を収集しました。
本展は、ヘレーネが初代館長を務めたオランダのクレラー=ミュラー美術館(1938年開館)の貴重な美術コレクションから、ファン・ゴッホの初期から晩年までの画業をたどる選りすぐりの作品48点を紹介するものです。
へレーネはファン・ゴッホを心の拠りどころにしていましたが、なぜそこまで惹かれたのか、ヘレーネ自身は明確な言葉を残していないとのこと。本展の担当学芸員である大橋さんは、「断言はできないが、ゴッホの芸術に非常に高い精神性を感じていたこと。また、牧師の息子として生まれたゴッホが聖職者への道を挫折してしまったことと、ヘレーネもキリスト教の文化になじめず苦しみを感じていたこと。そういった共通した背景が大きな理由ではないか」と話します。
さらに、本展にはファン・ゴッホ作品以外にも、ヘレーネが特に熱心に収集したミレー、ルノワール、スーラ、モンドリアンなど、19世紀半ばから1920年代にかけての近代西洋絵画20点があわせて出展されています。
写実主義から印象派、新印象派、象徴主義、そして抽象主義まで。目で見たありのままを描くレアリズムから人間の精神・感情に焦点を当てる方向へ、180度流行が変化した近代絵画の流れをたどるだけでなく、ファン・ゴッホ作品がまさにその転換の橋渡し的立ち位置にあることがわかる展示になっています。
これらヘレーネのコレクションからは、自らが得た感動を人々と分かち合うため、収集活動の早い段階から美術館の設立を生涯の使命にした彼女が、西洋美術の概略を見渡せるよう体系的にコレクションを築いたことが理解できるでしょう。
16年ぶりの来日!糸杉シリーズの傑作《夜のプロヴァンスの田舎道》
本展の見どころの一つは、実に16年ぶりの来日となる《夜のプロヴァンスの田舎道》。
ファン・ゴッホの代表作に連作〈ヒマワリ〉がありますが、南仏プロヴァンス地方の太陽が燦々と降り注ぐ風景のなかに立つ、糸杉の暗い緑の色調と美しさに魅了されたファン・ゴッホにとって、糸杉は「〈ヒマワリ〉のような作品にしたい」と熱中させるほど重要なモチーフでした。
緑の深い色調の表現に苦心しながら何十枚と描いた糸杉のなかでも、おそらく南仏滞在の最後に制作されたという《夜のプロヴァンスの田舎道》は傑作との呼び声が高いもの。
波紋のように大胆にうねる星月夜をバックに佇む糸杉は、まるで燃え上がる黒い炎のよう。ゴッホ自身は書簡で糸杉の形の美しさをエジプトのオベリスクのようだと例えていますが、自然への畏敬の念がにじみでるような、まさにオベリスクさながらの荘厳な存在感に圧倒されます。
劇的に変化する画風。私たちの知る「ファン・ゴッホ」に至るまで。
ファン・ゴッホ作品の特徴として「鮮やかな色彩」「うねり」「極端な厚塗り」などを挙げる人は多いと思いますが、これらの特徴はいずれも母国オランダからフランスに拠点を移して以降、画業の後期に生まれたもの。本展では、画風の変化の著しいファン・ゴッホの画業を時代順に沿って紹介しています。
ファン・ゴッホは1880年に画家として歩み始めてから5年間をオランダで過ごしました。初期は、灰色や茶色などのくすんだ色彩を用いて農民や漁民の生活や田舎の風景などを好んで描いた「ハーグ派」と呼ばれる画家たちや、農民画家として知られるジャン=フランソワ・ミレーの影響を受けながら素描の習熟を急ぎ、やがて油絵を制作します。
画業を通じて自然、なかでも無限や永遠の象徴であると考えた種まきから収穫の循環や、四季の移ろいに強い関心をもち続けました。展示からは、自然やその自然と密接に関わりながら農村で働く労働者の姿、彼らの貧しさのにじむ表情、悲しみや嘆きといった主題を細やかに拾い上げていたことがわかります。
1886年、フランスのパリに向かったファン・ゴッホは、そこで出会った印象派や新印象派、日本の浮世絵版画に衝撃を受け、画風が大きく変化しました。
これ以降の作品は色彩が豊かで、画面も明るくなっていきます。絵の具を混ぜずに、小さなタッチを並べることで色の濁りを防ぐ筆触分割による点描技法も取り入れ始めた点に注目してください。
1888年から移り住んだ南仏のアルルでは、明るい空の青と、燃えるように鮮やかな太陽の色としての黄色に魅せられ、青と黄色の補色の組み合わせで色彩効果の実験を熱心に繰り返しました。この辺りから、絵筆のタッチで対象の形を模倣するような彫刻的で肉厚の筆触により、多くの人が知る「ファン・ゴッホらしい」表現主義的な画風が出来上がっていく過程が見て取れます。
1889年には病のためサン=レミの療養院へ入院しながらも、療養院の庭や周辺の田園風景、また糸杉やオリーブ畑などの典型的なプロヴァンスのモチーフに取り組み、「うねり」の表現を編み出し、《夜のプロヴァンスの田舎道》や有名な《星月夜》といった傑作を制作。そして1890年に終焉の地、北仏のオーヴェール=シュル=オワーズへ移り住んだ後も、村や周辺の美しい景色にインスピレーションを刺激されながら1日1点という驚異的なスピードで制作を続け、筆遣いについても新たな様式の可能性を模索していたようです。
新しい場所、新しい出会いから常に学びを繰り返し、誰に作品が理解されずとも人生をかけて筆を握り続けたファン・ゴッホ。ヘレーネのコレクションからは「私は絵の中で、音楽のように何か心慰めるものを表現したい」という彼の信念、その情熱をつぶさに目の当たりにすることができました。
なお、本展にはクレラー=ミュラー美術館所蔵の作品以外に、オランダにあるもう一つの偉大な美術館を紹介するものとして、ファン・ゴッホ美術館のコレクションから《黄色い家(通り)》など4点のファン・ゴッホ作品が出展されています。
これらの作品はファン・ゴッホを経済的にも精神的にも支えた弟テオの死後、その妻ヨーが、作品の散逸を防ぐために設立したフィンセント・ファン・ゴッホ財団が永久貸与しているもの。彼女もまた、ファン・ゴッホの芸術を世に広めるべく人生を捧げた一人でした。
展覧会『ゴッホ展――響きあう魂 ヘレーネとフィンセント』の開催は2021年12月12日(日)まで。
本展でぜひ、今日の我々が過去の芸術作品をさまざまに評価し、意見を交わし合えるのは、多くの人々が保存や継承に尽力したからこそだという事実に思いを寄せながら、ヘレーネの類まれなコレクションの魅力に浸ってみてください。
『ゴッホ展――響きあう魂 ヘレーネとフィンセント』開催概要
会期 | 2021年9月18日(土)~12月12日(日) |
会場 | 東京都美術館 企画展示室 |
開館時間 | 9:30~17:30 (入室は閉室の30分前まで) |
休館日 | 月曜日 ※ただし11月8日(月)、11月22日(月)、11月29日(月)は開室 |
入場料 | 一般 2,000円、大学生・専門学校生 1,300円、65歳以上 1,200円 ※日時指定予約制です。 ※高校生以下無料。(日時指定予約が必要) その他、詳細はこちら⇒https://gogh-2021.jp/ticket.html |
主催 | 公益財団法人東京都歴史文化財団 東京都美術館、東京新聞、TBS |
お問い合わせ | 050-5541-8600 (ハローダイヤル) |
展覧会公式サイト | https://gogh-2021.jp |
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