東京・上野の東京国立博物館 表慶館では、2023年9月12日から「横尾忠則 寒山百得」展が開催中です。(会期は12月3日まで)
伝統的画題として知られる中国の風狂の僧を、現代美術家・横尾忠則さんが独自の解釈で再構築した「寒山拾得」シリーズのうち、新作102点を一挙初公開しています。
※作品画像について……特別な記載のないものはすべて横尾忠則作、作家蔵です。
脱俗の振る舞いで憧れの対象となった寒山拾得
寒山(かんざん)と拾得(じっとく)は、中国・唐時代に生きたとされる伝説的な二人の詩僧です。
高い教養を持つ文人にもかかわらず洞窟の中に住み、残飯で腹を満たし、常軌を逸した発言をするなど、奇行が目立つ自由でエキセントリックな存在として知られています。中国禅宗においてはその脱俗の姿や振る舞いが悟りの境地であるとしてもてはやされ、寒山は文殊菩薩、拾得は普賢菩薩の化身であると神聖視されるようになります。
中国や鎌倉時代以降の日本で、寒山拾得は伝統的な画題として多くの禅僧や文人たちによって描かれ、近代では森鴎外や夏目漱石の小説でも憧れをもって取り上げられてきました。
そんな寒山拾得をテーマした作品を、日本を代表する現代美術家・横尾忠則さん(1936-)が初めて発表したのが2019年のこと。江戸時代の奇想の画家・曾我蕭白の代表作《寒山拾得図》にインスパイアされたものでした。
以降、形を多様に変化させながら「寒山拾得」シリーズを集中的に制作。新型コロナウイルス感染症のパンデミックの時期には外界との接触を避けながら、まるで寒山拾得の脱俗の境地のように、俗世から離れたアトリエで創作活動に勤しんだといいます。
今回展示されている「寒山拾得」シリーズの102点は、すべて本展のために描かれた未発表の新作です。
制作期間は2021年9月からの約1年。横尾さん自身が本展の報道発表会で「アーティストをやめてアスリートになろう(と考えた)」と語ったとおり、87歳とは思えないパワフルで挑戦的な精神のもと、ときには一日3点を描き上げたこともあるなど驚異のスピードで制作されました。
時空を超えて、イメージからイメージへ
寒山拾得は詩僧ということで、寒山は漢詩を記した巻物、拾得は寺の庭を掃くほうきを持つ姿が伝統的な表現ですが、横尾さんは独自の解釈で巻物をトイレットペーパーに、ほうきは掃除機に持ち替えさせているなど現代的なアップデートを加えてユーモラス。さらに、トイレットペーパーからの連想なのか、二人はマルセル・デュシャンの《泉》を思わせる便器に座っていることも。
会場を巡っていくと、各作品のタイトルが制作の年月日のみで統一され、解説のキャプションなどが一切ないことに気がつきます。
東京国立博物館 学芸研究部調査研究課長の松嶋雅人さんは、こうした展示は横尾さんの意向を反映した形だと話します。
「横尾さんご自身は、作品1枚1枚に何かメッセージを込めるとか、何かを伝えようとか、そういう意図は全くないとおっしゃっていました。頭で考えて描くという形ではなく、筋肉、肉体から湧き上がったものをキャンバスに置いてきた。それを自由に想像・解釈しながらご覧いただきたいというお考えです」
特定のモチーフが一連のフェーズを形成しているケースも多く、たとえばそれは「赤い布」です。
《2022-03-24》は赤い敷布の上でくつろぐ寒山拾得と女性が描かれていますが、これは明らかに19世紀フランスの画家エデュアール・マネの名画《草上の昼食》のパロディーでしょう。似たような構図で《2022-05-01》がありますが、こちらは同館が所蔵する国宝である江戸時代の絵師・久隅守景の《納涼図屏風》にそっくり。
その数日後に制作された《2022-05-05》では、アラビアンナイトのように赤い魔法の絨毯に乗って楽しげに空を飛びまわっています。そして《2022-05-28》を見ると、今度はまるでハリー・ポッターの世界。それぞれで勝手に飛びたくなったのか、赤い絨毯からほうきへ乗り換えていました。
このように、横尾さんの寒山拾得像は次々にイメージからイメージが連想され、百面相のごとく変容していきます。
アルセーヌ・ルパンやドン・キホーテに扮したかと思えば、水墨山水画で描かれるような巨大な山のような体や、AIやロボットをイメージした無機質で幾何学的な形態にも変貌。女装したり、二人で一つに融合したり、もはやどこにいるのか判別できないほど風景に溶け込んだりと、やりたい放題している寒山拾得。
また、伝統的な画題である「四睡図」のように、寒山拾得だけでなく二人の師である豊干(ぶかん)禅師や虎と一緒にいたり、アインシュタインやエドガー・アラン・ポー、大谷翔平が顔を出したり。東京五輪、サッカーワールドカップといった世相を反映した作品もチラホラ……。
時間も場所も大きさも実在も架空もお構いなしに駆け巡る、自由自在な寒山拾得の物語がそこにはありました。
作家のもつ多面性が寒山拾得の姿を借りて飛びだしたかのような、これらの作品の多様性は、横尾さん本人が表現するところの「肉体脳」によるもの。
様式や拘りに囚われず、肉体の開放にまかせるまま筆を運ばせた結果として生まれたものです。昨日と今日とで変化する生理であるとか、その日に視界に入ったものであるとか、そのときどきの作家の肉体的発露はどこか日記的にも感じられました。
肉体的不自由さから獲得した「朦朧体」で、自由な新境地をひらく
柔らかく優しいタッチの描写が多いですが、横尾さんはこの描画スタイルを「朦朧体」と呼んでいます。
朦朧体は本来、明治時代に確立させた日本画の技法を指しますが、横尾さんにとっての朦朧体は、2015年に発症した難聴の症状の影響で、視界や頭の中まで不明瞭になり、事物の境目や夢と現実の区別までも曖昧になったこと。腱鞘炎により明確な強い線を引きづらくなったこと。このような肉体の変化によって獲得したものです。
筆を重ねることで曖昧になった輪郭は、時に時空の壁を無力化し、時に作者の意図をこえて過去や技術という束縛から離れ、見る者の心を溶かすような開放的な印象を与えてくれます。
作品のほとんどはF100号かF150号サイズの大型キャンバスに描かれて迫力があるうえ、アクリルケースなどのカバーがないため、間近で筆致や色の重なりを鑑賞することが可能です。
画面が明るく、赤や黄色などの暖色系の原色が多く使用されていることもあり、どこか肩の力が抜けるような安らぎや元気をもらえるようでした。
現存作家の展覧会を開催するのは、同館の歴史上まれとのこと。同館にとっても特別な位置づけとなった本展で、80代にして新境地を切り開いた横尾忠則さんの自由な世界に触れてみてはいかがでしょうか。
なお、本展の関連企画として、東京国立博物館 本館特別1室では特集「東京国立博物館の寒山拾得図─伝説の風狂僧への憧れ─」を2023年9月12日(火)から11月5日(日)まで開催中。
※本展のチケットで鑑賞可能です。前期・後期で展示替えがありますので詳しくは公式サイトをご確認ください。
国宝の因陀羅筆《寒山拾得図(禅機図断簡)》をはじめ、同館の所蔵する古典的な「寒山拾得図」を一堂に集めて紹介しています。寒山拾得図の変遷を追いながら、最新の横尾作品と比べてみるのも面白いかもしれません。
1936年生まれ、兵庫県出身。1960年代に日本の前衛シーンやポップカルチャーを代表するグラフィック・デザイナー、イラストレーターとして脚光を浴びます。唐十郎や寺山修司といった舞台のポスターを数多く手がけ、1981年のいわゆる「画家宣言」以降は美術家として活躍。主題や様式にとらわれない自由なスタイルの絵画作品を第一線で生みだし続け、国際的に高い評価を得ています。
近年では、自らのキュレーションによる「横尾忠則 自我自損展」(横尾忠則現代美術館、2019年)、500点以上の作品を一堂に集めた大規模個展「GENKYO 横尾忠則 原郷から幻境へ、そして現況は?」(東京都現代美術館、2021年)などを開催。
「横尾忠則 寒山百得」展
会期 | 2023年9月12日(火)~12月3日(日) |
会場 | 東京国立博物館 表慶館 (東京都台東区上野公園13-9) |
開館時間 | 午前9時30分~午後5時 ※入館は閉館の30分前まで |
休館日 | 月曜日、10月10日(火) ※ただし10月9日(月・祝)は開館 |
観覧料(税込) | 一般 1600円 / 大学生 1400円 / 高校生 1000円 / 中学生以下 無料 ※そのほか、詳細は展覧会公式サイトをご確認ください。 |
主催 | 東京国立博物館、読売新聞社、文化庁 |
お問い合わせ | 050-5541-8600(ハローダイヤル) |
公式サイト | https://tsumugu.yomiuri.co.jp/kanzanhyakutoku |
※記事の内容は取材時点のものです。最新情報は展覧会公式サイト等でご確認ください。
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